二週間

3.11の東北地方太平洋沖地震は、「あの地震」で通じる共通の体験となっていくのだろう。


この辺は震度5弱だったし、最寄り駅から3駅先の近所では死亡者も出たし、数は少ないが
避難所もできている。それでも、東北地方からみたらとても被災地の範疇には入らないだろう。
向こうからこちらに避難してくる人もいるくらいだ。そして、被災地の外にいる人たちが落ち着こうよ!
と毎日のように思う。


翌日は、土曜日だったこともあるが、実は怖くて一日中外に出られなかった。玄関を出たのは
夕刊を取りに行った時だけ。翌々日の日曜日は、最寄り駅の商店街のあまりの人出にびっくり。
家電量販店の懐中電灯・電池(特に単1・単2)・携帯型ラジオは既に売り切れていた。スーパーでは
最初に棚から消えたのは米。日本人はやっぱり米なんだと変にしみじみする。それから、
ティッシュペーパーにトイレットペーパー。重い物・かさばる物を目一杯かかえた人が目立つ。
翌日からは、開店前の長蛇の列と開店後の入場制限が延々と続いたらしい。牛乳・卵・食パンは
今もおひと家族様ひとつ限り。計画停電にあわせて営業時間も毎日変わる。そんなに買い込んで
どうするんだよ〜と突っ込み入れたい人も目にする。極め付けは昨日の水。赤ん坊に譲ってやれよと思う。
みんな落ち着こうよ!